今日のテーマは「出来ると磨く」です。
生徒さんと話していると「〇〇が出来るようになりたい」
こんな声をよく聞きます。
気持ちは分かります。
今はまだ、出来ていない事が出来るようになると嬉しいですし、楽しいですよね。
ですが、実はこの考え方は危険です。
練習しているうちに集中力が低下し、結局は上達しないと言う可能性があります。
私がおすすめしたいのは「磨く」と言う考え方です。
では、この二つは一体何が違うのか?
まず、「出来る」についてですが。
「出来る」「出来ない」は二者択一の考え方です。
ちなみに「出来る」と「出来ない」の境目はどこなのでしょう?
どの程度になれば、「出来る」と言い、どの程度だと「出来ない」のでしょう?
これらは全て個人の主観によるものです。
実は明確な境目などないのです。
そして、また、「出来る」には終わりがあります。
「出来たら」それで終わりなのです。
それに対して「磨く」はどうか?
「磨く」には選ぶ基準がありません。
原石のままで、全く磨かれていない状態でも「磨く」
また、逆に、ピカピカに光ってる状態でもやはり「磨く」
つまり、「磨く」には選択する事も終わる事もないのです。
ただ、前に進むだけを表現しているのです。
では、この二つの状態がメンタル的にどんな影響を与えるか?
実は「出来る」は精神的ストレスを発生させる可能性があります。
理由は「出来る」と言う最終的な答えを見つけようとするからです。
ちなみに頑張っても頑張っても出来ない状態の事を想像してみてください。
ストレスが貯まって、最終的に心が折れてしまう事が想像できませんか?
または、途中で投げ出して諦めてしまう状態が湧いてくるかもしれません。
では、磨いている状態はどうでしょう?
そもそも、磨くは最終的な答えを求めていないので、ただ、磨くだけです。
確かに1回や2回磨いた位では何の変化も見られず、退屈に感じるかもしれません。
ですが、注意深く観察すれば、磨けば磨くほど、必ず何らかの輝きが増している事がわかるはずです。
この二つの状態が心に与える影響は思った以上に大きい物です。
「出来る」を求めると集中力にムラが生まれてきますが、「磨く」は集中力が増す特徴があります。
それが結果的に今まで出来なかった事が出来るに繋がるのです。
一流選手の多くが言います。
「コツコツ挑戦し続けた結果が今だ」と。
これはまさに磨くを実践してきた結果だと言うわけです。
例えば、「フォアハンドのトップスピンを打ちたい」としましょう。
「出来る」を目指すとまず、前提が「出来ていない」と言う状態から始まります。
当たり前の事です。
「出来ていない」から「出来る」を目指すわけです。
そして、ほとんどの方は最初から完成形を身につけようと頑張ると思います。
グリップや身体の使い方などを覚え、身につけようとする事でしょう。
ですが、いくら頑張っても、中々身に付かないと出来ない自分が許せず、がっかりする事が出てきます。
では、「フォアハンドを磨く」と考えたらどうでしょう?
まず、始まりが全く違うところから始まります。
既に出来ていると言う肯定的な状態から始める事ができます。
「出来ている」と言うと語弊があるかもしれませんが、そこに磨く物が存在している事は間違いがありません。
つまり、今はまだ、トップスピンは打てないかもしれないけれど、フォアハンドが存在している事は事実なのです。
そして、それはまだ、未熟かもしれませんが、それを淡々と磨いていくわけです。
「出来る」を求めないので日々の小さな変化や輝きを感じる事を楽しむ事が出来ます。
まだ、トップスピンの理想の打ち方にはなっていないが、「少し打点が変わってきた」「少し今までと違う打球感になってきた」
このような変化を感じる事ができます。
実際には少しばかり打点が変わってきたからと言って理想のトップスピンのフォアハンドを身につけたわけではありません。
まだまだ、先は遠い道のりです。
ですが、その道のりを少しずつ進まなければ、求めている物は手に入らないのです。
これは「磨く」からこそ、進む事ができる道です。
「出来る」「出来ない」では感覚を進む事が出来ないのです。
私達、日本人は言葉から思った以上に多くの影響を受けます。
言葉から受けるイメージはとても強く鮮明です。
それは日本人が言葉に対してとても敏感な民族だからです。
それゆえに、プレー中の集中力にも大きな影響を与えます。
だからこそ、上達する為に必要な言葉があると私は思っています。
実際に言葉を変えるだけで、イメージが変わり、上達に結びつく事は少なくありません。
「出来る」と「磨く」もその中の一つです。
「磨く」イメージを持つだけでプレーは大きく変わります。
ぜひ、試してみてください。
本日のお話は以上です。
いつも長文お読みいただいて本当にありがとうございます。
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