こんにちは。
フィーリングテニスの戸村です。
さて、早速ですが、今日は「テニスは手続き記憶で上手くなる」と言うテーマでお話しします。
実は人間の長期記憶には大きく二つの記憶に分ける事が出来ます。
一つは手続き記憶。
そして、もう一つが陳述的記憶。
さて、この二つ、一体何が違うのか?
簡単に言えば、言葉に出来るのか?出来ないのか?
これが、この二つの記憶の違いです。
手続き記憶は言葉に出来ない記憶。
そして、陳述的記憶が言葉に出来る記憶です。
どちらも、長期記憶に分類されますが、その中身は全く違います。
陳述的記憶は一度覚えても、けっこう忘れてしまったりします。
その為に、繰り返し復習が必要だと言われています。
それに対し、手続き記憶は、一度、しっかりと覚えてしまうと、中々忘れる事がありません。
では、テニスの上達に繋がる記憶はどちらか?
もう、答えはお分かりだと思います。
手続き記憶でないとテニスは上達しません。
ちなみに手続き記憶とは、身体が無意識に出来る記憶です。
例えば。
自転車になぜ、乗れるか?
これを言語化する事は出来ません。
「まずはハンドルを握って・・・」
「サドルの正しい位置にお尻を乗せて・・・」
「足をペダルに乗せて・・・」
こんな風に言語化する事なく、無意識に身体が動いてくれます。
更にどうやって、乗れるようになったのかを覚えていません。
このように言葉に出来ない記憶を「手続き記憶」と言います。
テニスが上達するにはこのような手続き記憶を伸ばしていく必要があります。
ところが、手続き記憶ではなく、陳述的記憶でテニスを練習する場合があります。
残念ながら、この場合は練習しても、中々上手くなれません。
例えば。
「上半身を捻って・・・」
「肩の外旋を使って・・・」
「腕を回内させて・・・」
「足を踏み込みはかかとから・・・」
こんな風に動きを言語化して、覚えようと練習するケース。
この場合は陳述的記憶と言えます。
ちなみに、ちょっと、テニスをしないと「あれ?フォアハンドってどうやって打つんだっけ??」
こんな感じになる場合。
陳述的記憶で練習している可能性が非常に高いです。
同じ話の繰り返しになりますが、手続き記憶は言語化出来ない記憶です。
潜在意識への記憶とも言える記憶です。
では、どうすれば、テニスを手続き記憶で覚える事が出来るか?
最も大切な事は出来るだけ、言葉を使わない事です。
「言葉を使わない」とは言い換えれば「感覚を使う」と言う事です。
言葉と感覚は相反する世界です。
本来、感覚には言葉は存在しません。
もちろん、感じた事を言葉に変換する事は出来ます。
ですが、それはあくまでも、ある人が感じた事を「一例」として、表現しただけであって、本当ではありません。
個人の感覚は個人特有の物で、本当は言葉で表す事が出来ないのです。
ここを勘違いすると、言葉で感覚を覚えようとします。
こうなると、陳述的記憶と言う事になり、テニスの上達には結びつかないと言う事です。
では、感覚とはどういう物か?
例えば。
お料理を口に含んだ時。
舌はどんな風に感じるか?
熱い物に触れた時。
手はどんな風に感じるか?
腕を引っ張られた時。
身体や腕はどんな風に感じるか?
これらは全て、感覚です。
テニスをする時にもこれらと同じように「感じる事」が大切になります。
そのボールを打った時。
手のひらはどんな感触だったか?
腕はどんな感覚だったか?
體はどんな感覚だったか?
これらの感覚に注目します。
正しい答えを覚えようとする必要はありません。
「ただ、感じるだけ」
これを繰り返します。
すると、體(潜在意識)はイメージ通りのプレーの為に必要な動きを段々記憶していきます。
これが手続き記憶の過程です。
もちろん、正しい動きを覚える為には、失敗を何度も繰り返す必要があります。
失敗から、正解を見つける為です。
ただし、こうして體(潜在意識)が覚えた記憶は、基本的には何年経っても、消える事はありません。
自転車を覚えてしまった人は10年乗っていなくても、何も問題なく乗る事が出来ます。
テニスもこれと同じように覚える必要があるのです。
感覚を掴むには、それ相応の経験量が必要です。
地道な作業です。
それに対し、言葉で具体的に表現されると、一見分かりやすく、早く覚えれそうな気がします。
ですが、実はそれが落とし穴です。
覚えたように思えても、それは陳述的記憶あって、テニスに必要な記憶ではありません。
その為に、伸び悩みから抜け出せなくなるんです。
手続き記憶と陳述的記憶。
目指すのは手続き記憶です。
陳述的記憶の落とし穴にハマらないでくださいね。
本日のお話しは以上です。
いつも長文お読みいただいて本当にありがとうございます。
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