「集中すると疲れる・・」
こんな風におっしゃる方がいます。
集中すると本当に疲れるのでしょうか?
これは半分正しく、半分間違いです。
本来の集中は疲れる物ではありません。
もちろん、ボールへの集中力が高まる事でパフォーマンスが向上し、「プレー中の動きや反応が速くなる」「ミスが減ってプレーが続く」
こういう事が原因の疲れは当然増えます。
ですが、集中する事自体が疲れる事ではありません。
ちなみに、集中力の使い方は「気遣い」と「心遣い」の違いにとても良く似ています。
さて、この両者、一体どんな違いがあるのでしょう?
一見すると良く似ていると思います。
ですが、この両者には決定的に違う事があるのです。
では、その違いについてお話したいと思います。
「遣う」の意味はそのままです。
ある目的の為に、何かを用いる、または行為をすると言う事です。
つまり、「気遣い」は「気」を用いて何かの行為をする事。
そして、「心遣い」は「心」を用いて何かの行為をする事。
つまり、気遣いと心遣いの違いは
「気」を遣うか?
それとも
「心」を遣うか?
この違いだけです。
ですが、この違いがとても大きな違いなんです。
では、「気」と「心」の違いは?
「気」は元気、気合、気分、などと使われますが、「気」はある種のエネルギーを表す言葉です。
それに対して「心」はその人の存在全てです。
考え方や、価値観、性分、意思・・・
これらの物全てを含めたその人の存在こそが「心」です。
つまり、「気遣い」はエネルギーを遣い、「心遣い」は存在を遣うわけです。
「気を遣って疲れた・・・」
と言う表現がありますよね。
これはまさにエネルギーを使ったから起こる事です。
エネルギーは使えばなくなります。
ですから、疲れるわけです。
ですが、心遣いはもっと自然な物です。
その人の存在その物がその行為をしたわけですから、
極々当たり前で自然な事です。
自分が心から「したい」事をしているわけですから、疲れるどころか、心がすっきりし、気持ちよくなります。
ですから、「心を遣って疲れた」とは言いませんよね。
さて、それでは、話を戻します。
ボールへの集中力は本来「心遣い」と同じ感覚なんです。
つまり、極々自然で当たり前にボールに興味を持って、没頭して行くわけです。
そうすれば、集中する事自体は何も疲れません。
それどころか、どんどん気持ちよくなって、楽しくなります。
好きな映画や音楽に自然に没頭していくような物です。
それに対して、「気遣い」の感覚で集中すると?
これは疲れます。
集中しようと「気」を遣うわけですから。
当然、長く続ける事は難しくなります。
ですが、「気遣い」の感覚で集中する事が悪いわけではないのです。
始まりは「気遣い」でもOKです。
それを続けていれば、「心遣い」の集中の世界に入る可能性が高まります。
ただ、「気遣い」の感覚で集中を続けていると疲れて嫌になる可能性があるのでこれには注意してください。
もっと気楽に楽しくプレーする事が大切です。
気楽に楽しく「気遣い」している内にだんだんと「心遣い」の集中に変わっていきます。
こうなれば、テニスはもっと早く上達する事ができますし、何より、もっと楽しくなります。
さて、「気遣い」と「心遣い」の違いのお話は以上です。
何かヒントになると幸いです。
いつも長文お読みいただいて本当にありがとうございます。
フィーリングテニス
戸村基貴
写真提供:小林一仁(zonephotography)
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